変わりめぐる自民党の人間模様

福田総理が退任しました。政治の混迷が続きます。

もう「政治」が「官」をコントロールすることが出来なくなりつつある。

さながら政治の摩滅といったところでしょうか。

いろいろ考えるところ多々ですが、1976年に騒がれたロッキード事件自民党に世間の非難が集中した頃、自民党を離党した河野洋平らが新自由クラブを結成したことをふと思い出しました。結成当時は自民党に替る新しい保守の軸を作ると息巻いた新自由クラブもいっときのブームに終わり、その後は自民党との連立政権を組んだりもしましたが、結局1986年に解党、河野洋平自民党に復党しました。当時首相だった中曽根康弘が回顧録でかなり辛らつに書いているのですが、河野洋平の復党は自民党内に反対論が強く、中曽根氏も調整にだいぶ苦労したといいます。ようやく自民党に復党した河野に対する党内からの風当たりも相当なもので、1993年夏の総選挙で非自民連立政権が発足後に野党となった自民党の総裁にはなったものの、後にその地位も引きずり下ろされました。自民党の創立以降現在まで、唯一内閣総理大臣に就任していない党総裁が河野というわけです。

河野が自民党に復党してから17年ほど後のこと。

2003年11月に保守党が解党することとなり、同党の幹事長をしていた二階俊博自民党に復党しました。二階は前に述べた1993年夏の総選挙前に自民党を離党、小沢一郎らとともに新生党を結成、選挙後に成立した非自民連立政権側に加わります。以来、二階は新生党新進党自由党→保守党と移動を重ねた後、自民党に復党することになるわけです。

ところが10年ぶりに復党した二階は復党して翌年には党総務局長に就任し、2005年の郵政解散選挙では選挙対策の責任者を務めることになる。あの小泉チルドレンの面々には、ここで二階に引っぱられた人が大勢います。この選挙で自民党は大勝し第三次小泉改造内閣では二階も経済産業大臣にまで抜擢されることになります。その後、安部政権下では自民党三役の総務会長にまで昇りつめました。

正直な話、復党した二階が党内でどう見られているかはわからない部分が多いですが、少なくとも彼の復党後すぐに始まるトントン拍子の党内出世は、復党後もしばらく冷や飯を食わされ続けた河野洋平とはかなり対照的なものと言えるでしょう。

これが自民党を切り回すだけの人材が払底していることによるものなのか、はたまた能力的に、二階>河野だからなのかわかりませんが、自民党内の派閥の持つ意味が大きく低下したこともかなり関係しているようで興味深いところです。

さて、前回の総選挙で二階氏が引っぱって来た小泉チルドレン(刺客)で次回の選挙に向けて公認漏れとなった人が出ていますが、この人びとを同氏はどう処遇するのでしょうか。実は、その中には二階派の人もいるわけで、この人が実際に次回の選挙でどのように処遇されるかで二階氏の現時点での政治力の一端がうかがえることになるでしょう。

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