年の瀬の床屋今昔

年の瀬と言うにはまだ少し早いこの時期、今年最後の床屋に出かけてきた。

都内某所の理容室、通い始めてからもう10年近くになる。星の数もある床屋と言えど、理容師にせよお店の雰囲気にせよ自分にしっくりする店というのは意外になかなかないものだ。せっかく何千円か払うわけだから、気に入った店でリラックスしたいと思ってあちこち試行錯誤した結果、ようやく見つけたお店である。

毎年12月に入ると年内最後の床屋にいつ行くかを決める。

「年末の床屋はとにかく混雑する」

そう考えて今年も少し早めに床屋に出かけたというわけだ。

中学生の頃だったか、今から20年くらい前のある年の瀬の話だが、当時行きつけだった近所の床屋に前日から予約をし、いざ出かけようとすると、お店から電話がかかってきて、「ここ数日早朝から夜遅くまでぶっ続けで仕事をしていて疲労が限界なので、本当に申し訳ないが明日の一番にしてほしい」と懇願されたことがある。年末の床屋が混雑することは半ば常識のようなものだったが、特にそんなことがあって以来、暮れの床屋というものはそのくらい繁盛するものだという印象を強く持っていた。

そして今日、髪を刈ってもらいながらそんな思い出を店の主人に話し、だから少し早めに来たのだと伝えたところ、年末の床屋をめぐる様相はここ10年くらいでまったく変わってしまったのだと言う。

業界でキモイリめいた役についているらしい店の主人いわく、「年が替るからといって整髪する習慣はどんどん薄れていると感じています。5、6年前と較べても年末のお客様はだいぶ減りました。最近は安い床屋がたくさんできたことも多少あるかとは思いますが・・・社会の変化を感じますね。大晦日に必ず予約をなさるお客様がいらっしゃるので当店は営業しますが、そうしたお客様も以前からおなじみの方だけになりました。年末だからといって床屋がめっぽう混むことはもうないんです・・・」

同業者のなかには特に客が多く来るわけでもないので、以前なら混雑のピークだった大晦日を休みにするところもチラホラ出始めていると言う。

東京の白山に住んでいた頃、年始の挨拶で近所まわりをしていた。幼かった僕も虎屋の羊羹か何かをぶら下げた父親の後について回ったことを思い出す。ごく普通の住宅街だったが、年始の挨拶のためにお互いに行ったり来たりしていた。1970年代終わり頃の話である。

そんな習慣、都会の住宅街ではもうほとんどないだろう。

たかだか30年ほど前の話だが、なにか隔世の感がしてしまう。

年末に床屋に行くのは「年始の挨拶」のためもあっただろう。

暮れの床屋があまり混まなくなったというのも、「年始」というものに対する社会の意識の変化によるのかもしれない。

※写真はシーサイドライン八景島駅付近から東京湾を隔てて遠望する房総半島(2007年12月)

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